ロミオがずっと私の中で泣き続けている

「泣くロミオと怒るジュリエット」大千秋楽おめでとうございます!!!

 

 

本来だったら、森ノ宮ピロティホールで、大歓声の中でカンパニーに拍手を贈れていたのかなって思うと、なんとも言えないですね。

誰も悪くないって分かっているんだけれど、それでも、やっぱり悔しいです。こんな形で終わってしまうことが、観客の一人として、観劇ファンとして、桐山照史を応援している一人の人間として、こんなに悔しいことはないです。

一番は携わっているスタッフさん、キャストさんであることは、本当に分かっているんだけれど、商品として提供している立場にある以上、私達観客に頭を下げなければならないのは、仕方ないことだとも思います。こんな世の中だから自粛自粛で言葉を選ばなきゃいけないのは分かるんだけれど、やっぱりどうしても謝るばかりじゃ消化不良じゃないですか。悔しいじゃないですか、こんなの。口にできない「悔しい」も「千秋楽おめでとう」も観客の立場でしか、きっと公にすることが、今のご時世できないのなら、私は声を大にしてこの「泣くロミオと怒るジュリエット」がいかに素晴らしい舞台だったかを、ここに記しておきたいのです。

桐山照史の主演舞台が、こんな形で終わってしまうのは、やっぱり本当に悔しいし、憤っています。こんなパンデミックなことにならなきゃ、もっともっとこの舞台も照史も評価されていたんだろうと、もっとたくさんの人にオタクに照史が今以上に評価されていたんだろうと思うと、本当に本当に泣けてきます。照史も大阪の地で舞台したかったんだろうな。って。照史贔屓で申し訳ないですが、演劇オタクでもある私が、気合を入れて書きますね。演劇仲間も見てるけど、マッジでこの舞台評判良いからね、オタク達よ!!!見る予定で、見ないままで終わってしまった友人の為にも、自分の感情はあまり度返してちょっと、一通り作品について書いていきます。

 

と、言ってパソコンカタカタしていたものの、私の主観で物語を語ってしまうことはあまりにも罪深いのではないか?とも思っていて、やっぱり受け取り手一つ一つの「泣くロミオと怒るジュリエット」があるわけじゃないですか。絶対に再演はすると思うんですよ。だから、その機会を自分の中で大事にしてほしいってのも大いにあって…そんな気持ちが動くことってあんまり人生にもないだろうから、それを奪いたくはないわけですよ・・・。既に4000文字以上の一幕のあらすじを書いてはいるんだけれど、それをここに載せるのは、やっぱりいけないのかな。って迷い始めていてですね。もし、それでも、概要知りたいよっ!観劇できなくて悲しいよ!って方がいたら、ブログにしますんで、その時は何とか私に伝えてもらってもいいでしょうか?私も端くれとして全力でそれに応じますよ。

 

でも、今このご時世に照史がこの戯曲のロミオとして命を吹き込めることは、自分の応援しているアイドルとして本当に誇らしいことだと思います。胸を張って自慢していきたいんだよね。

でも、だからって、何も残さないのは私らしくないし、ネタバレ抜きで伝えたいことなんて一ミリも伝えられないし、難しいですな、こればっかりは。

 

ちょっと左寄りの物の見方をしてしまう私なのだけど、演劇って一番そこに開けてる娯楽なんですよ。映画とか、ドラマとかって、結局規制だらけだから、その中の情報であったりメッセージであったりとか、我々観客に全てのことを伝えていくって難しいんですよ。伝えられたとして、評価されたとしても、宣伝できなかったり、伝えることの規制よりも、変な圧力とか、兎に角ね、もっと私の知らないところでも色々きっとあるだろうしね。例えば、今回アカデミー賞を受賞した「新聞記者」だけれど、皆存在を知っていましたか?明らかに宣伝とかなかったでしょ?でもそれくらい評価されるべき映画だし、シネフィルの中でめちゃくちゃ話題でした。この映画はマストで見てくるくらい。詳しく気になる人は作品の概要とか調べてみてください。つまりは、映像ってやっぱりそこらへんが弱いんです。

そこら辺の規制にまだ勝てる娯楽が「演劇」であると思うんですよ。だから、演劇って主軸のストーリと並行して、色んな現代の政治的な皮肉であったり、メッセージであったり色んな情報を制限無く提示できる。それでもジャニーズが絡むと規制ってものは色濃くなってしまうにしても、まあ、それでも劇作家達は勝負していってるなって思います。現代のことを関心のない層にストレートに伝えれる方法でもあるからね、その劇作家の使命感みたいなのをちょっとくみ取ったりすると、また、舞台が面白く見えてくるとも思います。

 

今回のロミジュリは作品の中で、キャピュレットは日本人、モンタギューは在日朝鮮人を比喩していることが分かる。(戦後辺りに日本から強制労働で朝鮮人が拉致られたり、仕事を求めて日本にわたってきたりしていて(特に大阪近辺)ここら辺の歴史は私も定かではないので各々調べてね。)マキューシオの台詞の一部で「戦争はもう終わったので差別される必要がない」と言い張っている場面があるので、階層的にはキャピュレット(日本側)の方が上。

喧嘩をしている中で暴動を止めに警官がやってくる。警部補のカラス(福田転球)とその部下のスズメ(みのすけ)。暴動を権力で押さえつけようとする様、こんな激しい暴動でも上の報告は「何もなかった」で済ませてしまう様、現代でも目の当たりにしてますね。あれ?原発かな?コロナの一件だって延長戦みたいなもんじゃないですかね。

最後の葬儀のシーンで、地震や火災でベローナの街がボロボロになっていって暴動が起きたときに、キャピュレット側の人間がモンタギューが火を付けたと、全てモンタギューの責任であると言い広め、みんなでモンタギューを袋叩きにするのも、デマがデマを呼んで、どんどん問題が大きくなっていく様は、つい最近ではトイレットペーパー買いだめにもリンクするよね。

在日朝鮮人との歴史の中でも日本が二転三転して争うこともあったようだから、もう生まれ持っての日本人のとの特徴の一つなんですかね。キャピュレットの組頭ロベルト(岡田義徳)が挙句の果てに自分の腕が片腕なのはモンタギューにやられたからだ!と言い出すじゃないですか。こうやって、肥大化していくんだろうな、色んな事がって、これが今の日本だって。本当思うんです。

 

今、悪役として役名を挙げた人も、全てにバックボーンがあって、理由があってそうなっているんです。そこもきちんと描かれている。憎むべき人間なんて、結局どんな時代もいないのかもしれないんだなって、根本はそこなのかも知れないなって、答えを出すにはあまりにも回数が少なくて、そこらへんは言葉にできません。

憲法が改正されそうな今、戦争が関連付いている作品に出会うことが多いんですね。良い質な作品、名がある劇作家程、そうである傾向が…。

戦争を何とか食い止めたいって気持ち、戦争を知らない世代に何とか伝えていきたいって劇作家の気持ちって、何か私も知っているな・・・って。考えてみたらジャニーさんじゃないか。私は演劇にハマる前からジャニーさんにそれを教わり続けていた。それで、ジャニーさんが死んだ今も、照史が良質な舞台に立つことによって、ジャニーさんの意思みたいなものを受け継いでいくんだなって思うと、なんかジャニーさんが生きているような気がして、嬉しかったりするのでした。

 

そんな大事なことを分かりやすく問いかけてくれる演劇が、今とてもぞんざいに扱われていて私はとても悲しい。この国から演劇という文化がなくなってしまうんじゃないかって、不安。ただでさえ観劇人口が年々減っていっているのに…。まあ、演劇に触れない人達が決めたことだからさ、こればっかりは、理解してくれと言ったところでなんだろうけれども。でも、演劇ほど、誰の側にも近い存在でいてくれるよ拠り所って私には見つけられる気がしないんです。私の友人の劇団公演も中止になってしまいました。私よりも若い年齢の座長だから資金面でもにっちもさっちもいかずに、クラウドファンディングサイトで資金を募っていて頑張っている。このロミジュリ以外でも見る予定だった舞台が中止になってチケット5枚くらい、使わずに終わってしまった。凄く凄く悲しい。もし、これを見ているジャニオタの皆さん、大事なことを教えてくれる演劇に、ちょっとでも、目を向けて見守っていてください。それだけでも、全然違うと思うんです。演劇は、やっぱり自粛する文化ではない、と思うんです。ただの娯楽の括りに、まあ、全てそうなんでしょうけど、私にとって演劇程沢山のこと教えてくれるツールはないですから。

 

 

で、タイトルにもある通り、今も尚、ロミオが私の心の中で泣き続けている理由なんだけれども、演劇もコンサートも娯楽というカテゴリーで制限されている今日の日本、それを自主規制という自粛という言葉で公演をしないことしか選択できないこと。

作品のロミオとジュリエットが「ただ愛し合っている」っていうそれだけの事実。「ただ、おめでとう」って言われたい。でも、誰も認めてくれない現実。その何とも言えない社会の柵にひれ伏すしかない現実が、あまりにも今のこの演劇を自粛する風潮にリンクするんです。

私もお祝いの言葉、掛けてあげたいもん。「おめでとう」って言いたかった。ロミオが、照史が「おめでとう」って言われたかったように。私も照史に「千秋楽おめでとう」ってお祝いしたかったんだ。だからずっと、私の中でロミオは泣いている。シアターコクーンの真ん中で、ジュリエットを抱きかかえながら「おめでとう」「おめでとう」「おめでとう」って泣いている。きっと、それは再演するまで、私の心のロミオも、桐山担のロミオも、照史自身も泣いているんじゃないかなぁ。って。

 

 

ということで、大千秋楽だった今日に、ロミオとジュリエットの結婚のお祝いしてきました!てへぺろ

 

ちゃんとケーキも用意したよ。

 

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間違って三号注文してしまった、マジで高い・・・・

 

 

一幕ジュリエットコーデです。ご希望であれば、ジュリエットの登場シーン動画送ります。

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最後の照史くんが切なくて頭から離れないなら、私がジュリエットになって、ロミオに「おめでとう」って言えばいいんだよね。


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ロミオ♡ジュリエット

結婚おめでとう



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って、こんなんじゃ、納得できないわー!!!!!絶対絶対絶対再演してください!!!!誰が見てるか分からないけれど、本当にこのままじゃ、悔しい!!!!それまで、私も出来ることを全力でやっていく!!!願掛けや!!!!

 

 

幸か不幸か、私はシアターコクーンで上演した最後の公演を観れているんですよ。本当照史とは、こういうときに縁があるというか。4回しか見れてない、最後の4回目が2月26日の二部でした。元々、その日は行こうと思っていて、そしたらタイミングよく桐山担がチケットを譲ってくれて、良い席で最後を締めれました。

私のこと知っている人は、私がどれだけ照史のシアターコクーンの主演舞台に執着しているかってことは知っているかと思うんですけど、まあ、こんな形になってしまっても、シアターコクーンに連れてきてくれたことは本当に幸せでした。

蜷川幸雄シアターコクーンでロミオを照史が演じる日が来るなんてなー。応援してきて良かった。ジャニオタしていて良かった。

 


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私、ツイッター見たらさ、5年前から呟いているんだよ。だから、5年前の自分に戻れた気がして、初めてシアターコクーンで舞台を見た日にタイムスリップしたような気持ちになれました。私の中のワクワクが凄いスピードで溜まっているから、きっと照史くんに良い報告ができるように、私も私で再演までできることをコツコツしていきたいです。願掛けや!それまでは、私の心のロミオとバランスとっておこう。

 

 

 

 

 

 

照史くん、そして照史くん演じるロミオへ、

また、シアターコクーンで待ち合わせしましょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PS

これはマジでネタバレになっちゃうんだけど、ちょーーーー語りたい大好きなシーンの話だけ最後にさせてください!!!私の記録として残したいだけだから、ネタバレ嫌な人はスクロールしないで!

 

 

 

 

 

 

 

私が好きなシーンはベンヴォーリオとロミオの最後のシーン!!ベローナから逃げたロミオがジュリエットが死んだという嘘の報告をベンヴォーリオから受けるシーン!!!私は元々、橋本敦くんを8年前くらいから好きで見ていることが多いんだけれど、もう、やっぱ芝居細かいしさ、繊細だしさ、その繊細さに照史も引っ張られて、マジでここのシーンが最高なんだわ。演劇界の推しとジャニーズ界の推しの二人芝居!たまんねぇ!!!!ロミオは「純情劇場」っていう成人映画館で働いているんだけれど、その映画館の卑猥な言葉が並ぶ看板や、性という欲望を剥き出しにしている人間と対局にいるロミオの比喩がまたいいんです。そんな場所で、ジュリエットが死んだことを告げられたロミオ。童貞だったロミオが一つ一つ噛みしめるように、ジュリエットを抱いた、あの日のことを思い出していくんだけど、それが、その場所もあって、あまりにも誠実で純朴で苦しくなっちゃう。この演劇を観る前に最初で最後の人と良いS●Xをしたんだけれど、一つ一つロミオのように思い出していることに気付いて、私の中にロミオはいるんだと、発見したのが2月26日でした。最後にロミオに感情移入できて嬉しかった。

またね、ベンヴォーリオはロミオに恋をしているっていう設定が本当にしんどい!!2回目3回目は片思いしているベンヴォーリオに感情入ってしまったもんね。切ない表情、本当細かいところまで作りこんでいて見ているだけで苦しくなる。ロミオの長台詞の時のベンヴォーリオの表情素晴らしいっす。ロミオ見れないもん、私。マジで難しそうな役だと思いながらも、ちゃんと成立していて凄いって毎回思ってました。

ロミオも薬を受け取るときに、ベンヴォーリオの気持ちを知っていたのか?否か?なんだけれど、私は知っていたに一票入れたいんです。ロミオがベンヴォーリオと別れるシーンで、さっきまで笑って誤魔化していたロミオが「さようなら、ベンヴォーリオ」と抱きしめるんだけど。「さようなら」でニコって笑っていたのに「ベンヴォーリオ」と声を掛けるとこで、じわっと涙ぐむんですよ。目が。この照史の芝居で分かってるんだなって解釈しちゃった。ってか、そんな演技出来ちゃう照史、凄過ぎる!!!!本当に凄いしか出てこない圧巻のシーンでした。

 

観劇した人は、貴方の好きなシーンを教えてくれると、私も嬉しいっす。

 


 

 

 

最前列に何度入っても目も合わせてくれない自担が数年後ファンサマシーンになりデビューした話


皆様、2019年も大変お世話になりました。本当にこんなに感情を曝け出した一年ってあるのかな?って思うくらい、オタクの皆の前で泣きじゃくることが多かったんじゃないかな。良い歳したアラサーのオタクがインターネット上で出会ったお友達に一喜一憂、自分の感情を曝け出すって、こんな時代に幸せな人間関係だなって、思うわけですよ。私のことかな?って思う貴方。そうです。貴方のお陰です。私が泣いたところで、叫んだところで、何も変わらないのに、いつも私の小言に向き合ってくれてたね。いや、今年は兎に角多かった・・・すみません。助かりました。私が嫌だと泣きじゃくるたびに前を向く言葉を掛けてくれた貴方のお陰で、私は本日カウントダウンコンサートにいるんだと思います。だからね、本当に感謝。最初にね、伝えておきます。笑


無駄に13000字もいってしまったので、紅白観たいんじゃい!って人は1番下までスクロールして下さい。要約しました。


そういえば、カウコン復活当選したんだけれど、ジュニア情報局の向井名義で。最後のジュニアとしてのお仕事を連れてってくれる向井名義に何かロマンティックな気持ちになってしまったのです。やっぱりデビューは寂しくて、いくつか向井名義のままで更新した名義の一つなんだけれど、そんな気持ちを汲み取ってくれてるのかな?なんて。ふと、考えると、私が康二を認識したのって、2012~2013のカウントダウンコンサートで、グイグイいく照史の横にいる康二だったんだよな。

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あれから、7年後に康二に対してギラギラ眩しくて、こんなにもメラメラ燃え上がってしまうなんて、やっぱり何だかロマンティック。そんな、感情になるのってこれから先に、どれくらいあるんだろう。ちょっぴり終わりも知ってしまう感情だと、オタクが長いと分かってしまったから、やっぱり今、全力でオタクしていこうって思うんだよね。


そんなこんなでね、毎年この仕事納めからカウントダウンコンサートに掛けての数日間が一年で一番暇な日でして、毎年カウコン終わりに実家帰って家族で温泉旅行して、ジャニーズWESTのツアーの初日に入って、そのまま大阪であけおめコースだったのですけどね。なんか、2020年は久々にゆっくりできそうで、ちょっくら家族孝行でも。って遠出してきます。これが、応援している担当が大きくなるってことなのかなぁ。そんなこんなで、ここ最近の康二のこと。私のこと。何となく振り返っていこうかなって。ちょっとリアルタイムで言えることができなかった、あの時の感情を心の大掃除ってことで、綴らせてくださいな。



私が康二を意識するようになったのは、ジャニーズWESTの初単独横アリのあけおめコンサートだったかな。当時好きだった人に康二が似ていたのがきっかけでした。こんなヒョロヒョロな人に惹かれることが何となく自分の中のプライドが許さなくて、見ないようにしてました。それが、あのカウコンの時の康二としてリンクはしてこなくて、何か、太秦の舞台挨拶とかB.A.D.の後ろをチョコチョコ着いてってる子だなぁ。私は太秦に神ちゃんが出てないことが悔しかったので、何故か康二への個人的な当たりが強かった。ごめんね、、、笑


そんなとっからが、康二のスタートで、だから本当は好きになりたくなかったの!でも、ちょっと目が離せなくなっていって、照史と康二をどっち見ていいか分からなくなったパリピポツアー時。私的に照史くんと一番思い出がある時期でもあるんだけれど、康二も見たくて、照史くんがどっか別の方向見た瞬間に康二を探していた。凄い瞬発力だった。ツアーが終わる頃には「落ち着いて康二が見たい」って感情に変わっていった。ので、もう足を運ぶこともないであろうと思っていた、松竹座に足を運んだのが、2015年「少年たち」。WESTの友達もいない一人ぼっちの松竹座。あんだけ意味もなく認めたくなかったのに、康二を見る感情が抑えられなくて初日に入ってしまった。早く見たい。康二を見たい。って感情しかなかった。だから、WESTのいなくなった松竹座に対する焦りとか、何かそんなもの微塵も感じてなくて本当お気楽だった。康二が見れればいいのだ。私は。その気持ちで緑色のワンピースに袖を通した。

ワクワクした能天気な私の感情とは裏腹に苦しんでいる康二がいた。担当の感情なんて見えて見えないものだと思うし、オタクから見た完全な主観でしかない。ましてや、私は康二をしっかりと観たのは初めてだった。それで、この感情、どういうことなんだろう。何にこの子は苦しんでいるんだろう。って目が離せなかった。

逆にこの頃より以前に康二を応援している人はどんな感情で見ていたんだろうか。普通に気になる。私の周りの康二担は本当2015年夏松竹出が多いので、本当に気になっている。もし、これを見た該当康二担さんは、マシュマロとかで教えてくれると嬉しいです。

その頃、金髪の重めの前髪で、全く目が見えず、表情もわからなかった。それまでは、おちゃらけてケラケラしているイメージなのに、松竹座のセンターに立っている彼はあまりにも闇深くって一気に興味をそそられた。その笑顔とは裏腹に隠し切れない、いや隠そうとしてない闇っぽい、影っぽい部分。今では想像もつかない、愛想のない尖っている康二くん。なんだろうね、本当に何考えてるか分からなくて、放っておいたら倒れちゃいそうで、私の母性が爆発したのだ。2枚だったチケットはいつの間にか8枚になっていた。あの時から、今の今まで、私の母性はダンシングダイナマイト。心躍らせて持って行った初めての康二の団扇は結局康二は一回も見ることはなかった。初日の二部で龍太くんが土下座してさ、康二くんもペコペコして団扇出さないでってお願いされちゃったんだもん。団扇の出せない松竹座とか!!!!って青天の霹靂だった。団扇こそが青春だったのに、でも今では好んで団扇を出さなくなったのは、松竹座のお陰。その選択を与えてくれる関係性を築けたのは、康二くんのお陰だし。これから先、売れて遠くなってしまっても、松竹座時代の彼を応援していた優越感に浸れたらっていう、下心もあり。団扇を出さないで勝負できる距離ならば、私はやっぱり出さない選択肢をし続けていこうかな。とかおもっている。


そこから数年、春・夏・冬とユタカライナーとお友達。(池袋発関西行きの夜行バス)毎回松竹座には足を運んでいたはずなのに、思い出そうとしても記憶が何もない。でも、楽しかったし、串カツ美味しかったし、朝日プラザホテルで酔っぱらいのおじちゃんに絡まれながら康二の話をするのも楽しかった。大阪に出張という名目で関西人と酒を飲みたい為に街コンに行くのも楽しかったな。友達いなくても、楽しかった。

どんなに足を運んでも、康二が私に微笑んでくれることはまずなかったし、本当に認知のファンにしかファンサをしてくれてなくて、凄く凄く悲しかった。目が合った!って心が躍ってもサッと、逸らされてしまう。それでも、心をボキボキ折りながらも、毎シーズン最前列には入るようにしていました。ファンサももらえないのに。

その時期に照史くんは、そんな私を包み込むように毎回手厚いファンサをし続けてくれていたので、私は節操もなく康二にトライしていた。康二にまたそっぽ向かれ落ち込むたびに「康二何か辞めとけ・・・」と、一番仲良いオタ友が背中を擦ってくれていた。

やっとできた公演を入る安定の相方には「康二くんは、本当照れ屋だよね」と毎回声を掛けてもらっていた。何が照れ屋だ!!!いい歳して!!!と内心思っていたけど、私も本当に康二が照れ屋だと思っていた。その当時。本当に照れ屋だから、前列入って顔覚えて見慣れてきたら、きっと、ファンサしてくれると思っていた。純粋!松子ちゃん、純粋!

アイドルの視界に入ってもスルーされることって、本当に初めてだったし、それが2.3年続いていたから、ここだけの話、何度も転生した・・・。量産系になってみたり、ネタ系になってみたり、色々試したりして、何とか康二に受け入れて貰おうと必死だった。ファンレターの名前も変えたり、無駄だと思ってもありとあらゆる方向で最善を尽くしていた。いつの間にかめちゃくちゃハマってるやん。恋愛してんじゃん、私。恋愛するとゲロ重ガールの松子ちゃんは、いつも男の子とお別れするときは、ブロックシャットダウンされちゃうけれど、康二くんの心がシャットダウンでも、物理的には康二くんがアイドルでいる限りシャットダウンは出来ないわけだから、なんていうか、私の執着ってここまでなんだと、思い知ったな。一種のホラーだわ。

見学席に先輩がいるとファンサをし始めて、見学がいることを祈ることも多かったなぁ。そんなこんなで、康二が大分精神的に大人になって、私を受け入れてくれた時期、もしくは照れ屋を克服した時期wwwと私の四度目の転生、「ガンガン盛り上げ松子」の時期が丁度いい感じでリンクしたときがある。マジでX軸とY軸が交わる感じでピタっときた時期に、ちゃんと目を合わせてくれるようになりました。微笑んでくれるようになりました。需要と供給って意味を初めて習ったときは、全然分かっていなかったけれど、大人になるとこうやって肌で感じることが多くなっていくんだと。まじまじ。

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良く康二担にあの頃の康二はジャックナイフだったね、って話てるんだけど、んじゃ、あの康二がバターナイフみたいになったのはいつからだっけな?って話をすると大概「三宅君と初めてお仕事をした滝沢歌舞伎」って言われる。三宅くんってファンをめちゃくちゃ大切にしてる人なんだね、色々調べたり、聞いたりしたらビックリするくらい人間として機能している人だなぁ。と尊敬する。そんな人に憧れてたら、やっぱり影響力は凄いんだろうな。でも、佐久間くんと三宅くんが二人で仕事しちゃうし、何かちょっと悔しい。三宅くんが好きであることに、康二は委縮しないで欲しいな、なんて思ったり。

私が、康二が変わったって思ったのは、いつだろうな?って思ったら、何となく、大学を卒業した辺りなんだよな。誰と仕事をしたかってのも大きいだろうけど、やっぱり康二は康二の人生の節目にきっちりとケジメ付けてんだろうなって。まあ、成長するってそういうことだよね。

ジャックナイフ時代は正直、康二調子乗っていたと思うんだよね。ちょっと力を抜いてるなって感じる瞬間も結構あった。でも、求められたことはちゃんとこなしているし、何も問題なかったんだけど、もっと藻掻いてる姿も見たいなって思っていた。なんか、周りがメキメキ力を付けているのが分かるけど、康二はある程度のとこまでいってるから、もうこなれちゃっていて勿体無い!!って思っていた。でも、東京で仕事をするときは目の色が変わる。全然パフォーマンスが違うんだよね。背筋すら違う。東京で勝負して、関西でホッとしている感じ。そのメリハリを康二担として楽しんではいたけど、東京で仕事するくらいのギラ付きでいたら、康二の人生はもっと変わっていたのかなって、デビューが決まった今でも思うときもあるし、康二自身もたまにポロっと零す言葉にあるなっても思ったりする。

東京のSixTONESとの仕事の時は本当に私まで泣きそうだった。ストの輩加減ヤバい!あの頃のストはカースト上位過ぎる!田舎のヤンキーかよって感じ。本当、いつ康二が傷付けられるんじゃないかっていつもハラハラしていたし、めちゃくちゃ敏感だった。その度に凹んでる康二を見ると、私の母性がダンシングダイナマイトしていた。その時にいつも助けてくれたマンズ兄さん達。特に阿部ちゃん。本当好き。大好き。私は、そっからスノの公演にちょいちょい行くようになりました。あの時の感謝を忘れないぞ。康二はずっと嬉しそうにSnowManの話をしていたから、康二がこういう形でいれることが、素直に嬉しい。加入先がスノで本当に良かったと思ったのは、加入を聞かされた当初から揺るがないなあ。阿部ちゃんが、あの頃「康二!康二!」って言ってるの好きだったな。メールもたくさんくれたもんね、あの頃の阿部ちゃん本当に感謝。やっぱり康二はスノと仕事をすると格段に成長して松竹座に戻るし、凄く分かりやすいなって思っていて。スノって凄いんだろうな、って康二の変化で分かるくらいだったなぁ。


そんなこんなで、やっぱり開いていく東京との差。康二と大吾の2TOP、りゅちぇと龍太くんの4TOPS、凄く大好きだったけれど、長くは続かないこと、限界に近ずいていること、何となく分かっていた。だからといってアイドルの枠を飛びぬけて活躍するために、得意のバラエティー番組に引っ張られる程の知名度はないし、だからって芝居に特化したいわけではないのは、康二を見ていたら分かる。モデルの仕事も消去法で口にしているように見えてしまっていたんだな。超似合うけどね、モデルも。でも、やっぱり芝居は大吾、笑いは丈が持ってってるイメージだったから、強いて言えば此処かなって選択にも見えてしまっていた。それなりに器用にこなしてきた康二だから「アイドル」って職業以外に選択肢なんてないって、きっと本人も康二担も分かっていたと思う。やっぱり、歌って踊って面白い康二にぴったりなのは、アイドルでいることなんだと。でも、その選択が出来なくなっていることが、本当にジワジワ寿命のように、伝わってきていた。


それが、確信に変わったのは、康二が松竹座での最後の少年たち。看守長役だった。看守長役ってのは、フレッシュからは一線引かれてしまう。どこか、アイドルとして俯瞰したポジションに位置付けられてしまう。ついにこの日が来たか。という感じだった。周りの康二担はいつもと違う康二の役どころに素直に喜んでいて羨ましかった。私は、悔しくて怖くて、これから他のジュニアと開いていくであろう溝を勝手に構築して震えていた。後々聞いたら、これを感じていたのは私の周りの康二担はほとんどで、それでも口にせず現状の康二を楽しむようにしていたことが、分かって、本当にオタクの鏡だなって思う。そういうオタクに私もなりたい。


私は、この頃から、ジャニショで康二の写真を買えなくなってしまった。そこから、康二が関西を離れるまで、一応フォトセットは買ってどこか奥底にあるけれど、何かに恐れて康二を摂取することを自ら辞めていたのかもしれない。結局、夏松竹も前半しか入らず、後半のチケットは手放した。友達に「いいから、後半も見なよ」と何度も背中を押してもらったけれど、見れば見るほど、やっぱり怖くて、なんかそういうとこ敏感なんだよね、素直に楽しめなくって、何となく、心の準備が上手いと思う、私。


そして、来ました。なにわ男子結成。「関西ジャニーズから久々のユニット結成!」って謳い文句で、公式よりも先にドル誌で結成発表。ドル誌で発表とかって今のなにわ男子じゃ考えられないくらい勿体ない発表の仕方だよね。でも、このチープさが関西ジャニーズらしくって、どこか落ち着いてしまうね。グループが出来たことは、素直に嬉しかった。「なんで康二がいないの?」って一ミリも思わなかった。来るべき時が来たんだなって感じ。私の周りも「どうして康二がいないの?」なんて誰一人呟かなかった。ただ、粛々と見慣れた文字列に無い自担の名前を探しては落ち込み、悲しむだけだった。グループが結成された時は、こんなにもなにわ男子の勢いが凄いとは思わなかったし、正直舐めていた。まだまだ、康二の需要もあるし、色々な手があるとも思っていた。それでも、辛かった。これから置いてきぼりにされるんじゃないか、康二も康二担も大好きだった場所から切り離されていくんじゃないか。康二はそれに耐えてまで、アイドルでいることを選択するのか。毎日毎日康二のことを考えて泣いていた。なにわ男子が結成されてからの康二の写真は笑顔がない。パタリと消えた。目が死んでいた。こんなに、あからさまに分かるんだって顔。それでも、前向きな言葉を絞り出している康二に、また胸が痛んだ。


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新体制の風が少し吹き始めた頃、梅芸が始まる。


オープニングのハチャメチャ音頭。康二のポジション。大吾も流星も横にいない。二段目のポジション。康二のいるはずだった場所にいる、丈と大橋。これが、康二に与えられた場所なのか―。と、それでもニコニコの笑顔ではしゃいでいる康二を見て、もうダメだった。関西ジャニーズジュニアを心底大好きなんだろうな。って思った。康二は自分の為じゃなくて、今、関西ジャニーズジュニアの為に笑っているんだ。ひしひしと伝わった。一目見ただけで涙が止まらなかった。どんなに席が良くても、他のジュニアに目移りもせず、ずっと康二の団扇を掲げて、康二だけを見ていた。今、私が康二に伝えられることは、できることは、それしかないって、涙も拭わないでずっと見ていた。そしたらさ、康二客席降りの時に隣にいてくれたんだよね、なんていうか、今まで私がジャニーズから貰ったファンサの中で一番のファンサだったんだけど、そうやって、初めて康二が私にアイドルとして媚びてくれた瞬間だったの。その時に、康二まだアイドルでいてくれるんだな!って確信に変わったのね。あぁ、康二がファンとして私に媚びてくれるなら、出来ることは全て康二にしてあげよう。って思った。一緒に戦ってって意思表示をしてくれたんだと思ってる。それでいいんだ、都合の良いファンでいい。康二がアイドルでいてくれるなら、血の果てまで都合の良いファンでいたい。前を向く康二に私も突き動かされていた。その後、明星買いこんで、恋人にしたいランキングもバカスカ投票した。私は、私が一番で、それはいつだってそうだったんだけど、この時初めて、自分ではなく誰かの為にお金を使った。


それでも、やっぱり残酷なのか、新しい風は轟々と勢いを増していく。最後の関ジュとしての松竹、最後のクリパ。最後なんて思わなかった。私の不安とは裏腹になにわの勢いは凄い。世間がなにわを欲してる。幕が上がる前の大橋のソロの勢いが、康二のフェイクだったであろうパートがどんどん大橋が歌っていくことが、たまらなく怖かった。私は、大橋のことは好きだけれど、大橋の歌声を聞くと一発目に身震いを未だにしていしまう。トラウマになってしまった。マイナスなことなんて何一つないんだけれど、そのくらい恐怖が植えついてるんだよなぁ。

クリパ期間、毎週月曜日にいなくなる康二。新しい仕事?理由も聞かされないままに、不在。いきなり唐突に泣き始める、後半日。千秋楽でもないのに様子がおかしい。でも、やっぱり理由がわからない、ただただ、前向きな言葉を紡いで、都合の良い解釈をするしかなかった。千秋楽付近にはしっかり落ち着いて、なんとなくいつもの康二に戻っていた。もう、この頃にはスノになるって意思を固めていたのかなって思う。クリパ8公演入ったかな・・・もっと入れば良かったなぁ。康二担が口を揃えて言う言葉、BEST3には入る「クリパ、もっと入ればよかった。」笑



そして、あけおめ。あの時の全てが康二の最後だったなんて考えたくもない。一緒に踊った、あの曲も。一緒に歌った、あの歌も。全部全部最後だったんだ。正直、私は龍太だけだと思っていた。康二はアイドルでいてくれることは、梅芸のファンサで確信していたし、絶対揺るがないって思っていて、まさか、東にいくなんて、誰が予想できたのか。康二も辞めるんじゃないかってタイムラインに流れたときも、絶対にないって思っていた。でも、じゃ、あの空気は一体なんだろう?やっぱり、どこかおかしかった。みんな、みんな泣いていた。あたしも泣いた。声を上げて泣いた。泣かせてくれてありがとう。そして、泣かないでいてくれた、丈、ありがとう。そして、ポップアップさせたる!!!ってまた、意気込んだのです!


二週間後、涙の意味をやっと理解する。スノーマンの加入。嬉しかった。素直に嬉しかった。康二がまだアイドルを続けられる。アイドルとして、ステージに立ち続けられる。その寿命が延びたことに本当に安堵した。でも、知っての通り、そんな簡単に受け入れられるわけじゃない。そりゃぁそうだ。私だって逆の立場だったら、きっと無理なんじゃないかと思う。未だに六人派はいるし、でも康二が嫌いなわけでないのも分かる。でも、しんどかったなぁ。ぶっっちゃけね、私も康二が関西ジャニーズジュニアとしてアイドルを続けられたら、どんなに良かったのかって、これから先もずっと思い続けるんだと思う。やっぱり慣れ親しんだ歌を、康二が歌っていた歌を別の子が歌っているのは心が張り裂けそうになる。どうして、大吾の後に康二の声が聞こえないのかって、頭の中では康二の声が再生されているのに、歌っているのは別の子。処理ができない。康二が関西ジャニーズでいれなかったのは、康二もさることながら、康二担の応援も弱かったのかな。いさせてあげたかった。って、自分の応援の仕方を反省もした。兎に角、私は生粋と関西担なので、全く東ジュを知らない。東京に住んでいるのに本当に勿体ないとよく言われたもので、端から興味がなかった。関ジュ独特のホーム感。一緒に歌おう騒ごうっていうあの感じ。品の良さとは無縁だった。そうなると、どうも物足りなくて、スノの曲も全く知らないってのも大いにあるんだろうけど、中々慣れなくて苦戦した。


そんな時にたまアリのなにわ男子との合同コンサート。なにわ男子はガッツリ関西の十八番で勝負してきた。その、どれもこれもが大好きな曲ばかりで、そこにいない康二をずっと探していた。ロマンティックも、いつも指していたはずの彼がいなくて、泣きながら歌った。それでも、関ジュが関東の仕事の時は背中を押してあげたくて死ぬほど、歌うし踊る、でも、泣いていた。たまアリも8・8もやっぱり泣いてしまった。


私は関西ジャニーズJr.が大好きで、その中で向井康二が大好きだった。スノに加入した時に極端な話、関西ジャニーズJr.向井康二を選べと二択を迫られたような感覚だった。康二についていくと腹は括っても、やっぱり気持ちは落ち着かない。そんな中で康二の挙げ足ばかり取るような、タイムラインがどうしても流れてくる。


康二の為に黙秘した。数々の康二担が口を紡いだ。言葉にしなかった、何も。だから、私も言葉にしなかった。みんなで、耐えた。言葉にしないことで、康二の背中を押すことを選んだ。本当に悲しかった。康二が関西ジャニーズじゃなくなることが、本当に本当に悲しくて悔しくて辛かった。康二担は、それでも「おめでとう」しか言わなかった。だから私も「おめでとう」しか言わなかった。いや、言えなかった。


だから、今、少しだけ自分の気持ちや周りが落ち着いてきたときに正直に関西にいて欲しかったことを伝えると、スノ担の皆さんはビックリする。別に私が康二担代表です。ってわけじゃないから、皆がそうです。とは、言い難いけれど、でも、伝わってなかったんだよ。康二担の団結力凄い。作戦成功だぜ!(ここでネタ晴らししたらお開きじゃんってのは置いといて)なんとなく、お役目全うしたのかなって気持ちになったんだよなぁ。


スノ担になって約一年も経つと、6人の担当の人ともお話する機会は、そりゃあってさ、「康二担です。」って言うとさ、康二が加入して良かったことを挙げてくれるんだよね。大概言ってくれる。康二が批判食らってることを分かったうえで、そうやって温かい言葉を掛けてくれるスノ担の優しさがあったから、私は関西担ではなくスノ担を続けることを選べたんだと思うなぁ。感謝だなぁ。


その期間に滝沢歌舞伎や三婆出演など、立て続けに仕事ばかりの康二。康二担も私も緊張の糸が途切れる瞬間がないくらい、心も体も忙しなかった。康二の人生で一番の踏ん張りどころだったんじゃないかってくらい、本当に良く頑張りました。一緒に頑張れて良かった。メンタルお豆腐みたいな康二が、批判を聞こえない振りをしながらも前に進んでいく姿も、でもちゃんと耳を傾けて改善して受け入れて貰おうとする姿勢も。今まで私が知っている康二とは想像も付かなかった。一度、落ちた人間の強さってのをまじまじと感じた。康二くんはこれから何があっても無敵。結構自信をもって豪語しちゃうかも。東京に康二が来ると、康二の話を耳にすることも増えて、本当に変わったなぁ。頑張ってるんだな、本当に大人になったんだなぁ、ってその成長にやっぱりビックリする。いつの間にか、尊敬しているようになっていった。年下なのに。康二を尊敬する日が来るなんて。心から嬉しいし、マジビックリ卍卍マンし

康二はいつの間にか、きちんとファンレターを読むようになっていた。ぶっちゃけ、なにわ男子結成前まではそこまで読んでなかったんだと思う。でも、読まなきゃステージに立てないような精神的にも状況だったのかなぁ。って今だと思ったりもする。それからファンレター読んでます、と口にしてくれることも増えて、私の手紙もきちんと読んでくれてることも分かって。私だからじゃなくって、康二担一人一人を本当に大切にするようになっているのが、手に取るように分かって。康二は、ここまで付いてきたことに、本当に感謝してくれてるんだなって、それを全身全霊で伝えようとしてるんだなって。凄い分かりやすい康二だから、ここら辺もとっても分かりやすい。


スノに加入して、めめラウの目まぐるしい快進撃を見ていると、パンチ弱いかもだけれど、康二もめちゃくちゃ成長していて。東京で仕事した後の康二は必ず成長して帰ってくるので、ずっと東京にいたら、もう凄いパフォーマンス良くなっちゃうじゃん!!!って加入の時も、ワクワクしていた。本当、康二もよく付いていってるなぁって思う。振り入れのメイキングとか見ていると、やっぱり最後まで振り確認してるもんね。振りを入れて上の上をスノは当たり前に求められているから、やっぱり関西には無いスタンスだし。パフォーマンスアーティストとして求められていくギャップはやっぱり寂しくないと言えばウソになるけど、でもこれだけ必死な康二を見て受け入れられないわけがない。やっぱり、今の康二はエモさの塊だ。

この間のYTFFD.D.なんて激しい曲踊ってるのにファンに目線送ってるの、ビックリしちゃった。いつの間にそんなこと出来るようになったんだろう。気持ちの余裕と、その気の持ち方自体をマンズ兄さんから教わっているんだと思う。

マンズ兄さんのファンを大切にする姿勢は本当に素晴らしい。マンズ兄さん本当凄い。康二がこんなにファンを大切にできるようになったのは、マンズ兄さんのお陰です。私が何度転生しても貰えなかったファンサを、マンズ兄さんがいればひょいひょい引き出せるのだ、万歳、三唱!大好きマンズ兄さん。

最近、康二を知ってくれた人に、「康二ってあんまりファンサするタイプじゃなかったんですよ。」って言うとビックリされる。そんなイメージも沸かないくらい、今の康二はすべてに全力でぶつかっている。私は、こういう康二を応援したかった。関西ジャニーズにいた康二も大好きだった。私も康二も成長する、色んな失敗をして結果を出していく。落ち込んで奮い立たせて這い上がっている。だから、これがきっと正解なんだと思う、関西ジャニーズの康二を求めてしまうことは未だにある、でも、今康二が全力で勝負している姿を見れることが私にとって一番求めていたことなんじゃないかって、今気持ちを整理して分かってきたこと。応援したい康二に出会えたことが2019年一番の収穫である。



きっと、康二がもしこのブログを目にしたら、また偉そうなこと言ってって干されちゃうんじゃないかっても思うんだけれど(爆笑)それでも、やっぱり酸いも甘いも経験した怒涛の日だったから、言わせてほしかった。

デビューおめでとう。本当に嬉しい。心から嬉しい。

デビューする日が来るって、思わなかった。

いつからかデビューって口にしなくなっていった康二に慣れていた自分がいた。

でも、こんなことってあるんだね。

ここまで連れてきてくれたスノーマンのメンバーには頭が上がらない。

一生感謝し続けると思う。

康二をここまで連れてきてくれて、本当に本当にありがとうございます。

私は、やっぱり康二のことが大好きです。

康二に幸せになって欲しいです。

だから、これからも康二のことをよろしくお願いします。



一緒に頑張ってきた康二担の皆さん。

お互いお疲れ様でした。本当に疲れたね。

まだまだ、これから!って言える喜び噛みしめて、楽しんでいこうね。

もう悲しい涙も、気持ちを押し殺すことがないように

康二担の幸せを心から願います。

いつか、康二から離れる日が来ても、私は貴方と共に康二を支えるために戦えたことを誇りに思います。



支えてくれた関西担のみなさん

本当にありがとう、みんなと会えなくなって寂しいです。

みんなと入れなくなった松竹座、悲しいです。

でも、私、今本当に幸せみたいだ。

たくさん、たくさんいっぱいいっぱいな私の話を聞いてくれてありがとう。

本当にありがとう。背中を押してくれてありがとう。

おめでとう。って何度も言ってくれてありがとう。

一緒に泣いてくれてありがとう、本当に感謝しかないです。

 



大好きな大好きな関西ジャニーズ

本当に大好き。皆、本当に大好き。一人一人と密な時間がある気がする。

こうやって私の人生が豊かなのは、関西ジャニーズのお陰です。

キラキラした宝箱のような松竹座。ぎっしりとつまった夢と希望。

今、そこから色々な方面に輝いている皆の活躍が心から嬉しいです。

やっぱり、私のホームはここだし。落ち着く、そして一番楽しい場所。

こんな居場所を与えてくれたこと、心から感謝してます。

関西が関東に来るときは全力でこれからも応援するから、たくさん来てね。

こんな言葉じゃ足りないくらい、本当に皆が幸せでいることを願っています。

飛ぶ鳥落とす勢いと関西ジャニーズ。

まずは、東京ドームだね。楽しみだな。本当。

いったれ!!!!やったれ!!!!







 

そして、康二くんへ


ここまで、本当に大変だったね、

よく頑張ったね。


私も頑張ったよ。笑


頑張って良かったって、思う。

全力で応援出来て良かったって、思う。


向井康二が好きって、色んな人に

伝えてきてよかったって、思う。


向井康二

付いてきてよかったって、思う。



一人のアイドルの人生に左右される私のメンタル

最高だなって思う。



だから、とびきりのデビューのご褒美だね。


デビューじゃなくたって、なんだって

康二くんがそこにいてくれれば嬉しいけれど

それでも、やっぱり露出が増えて色んな人に私の応援している人が

伝わっていくのを肌で感じていて、言葉にできないくらいの嬉しさがあるね。



これが、結果なんだ。


康二くんの頑張った結果なんだね。

 

頑張っても報われないことの方が多いけれど

それでも、やっぱり康二くんは報われるだけのことをしてきたから。



これから先、もっと幸せになって

もっと、成長してさ、

見たことのない康二くんを見せてね。

付いてきて、応援して良かった。


ありがとう。



アイドルでいてくれて、本当に本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

すっごく、長ったらしいブログになってしまったけれど、要約すると




関西ジャニーズでなくなってしまった康二くんに悲しくなることもまだまだあるけれど

それでも、康二くんのここまで一生懸命な姿は今まで見たことがなかったので

見たい姿を見せてくれる今の現状はとってもオタクとして幸せなことだな。




って長々と綴って気付けたのでした。




 

さあ、心の大掃除完了!ってことで、気持ちを新たにカウントダウンコンサートにいってきます。令和最初のカウントダウン。皆さん、良いお年をお過ごしください。

 

 

30歳の照史くんと、私の話。

照史くん、30歳、おめでとうございます!!!!

ひゃっほ~!!!!!!遂に30歳、めでたいめでたい!!



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仲良しの桐山担と祝ってきた夜でございます。

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可愛い照史くん。「千と千尋の神隠し」の「かしら」みたい。笑


\ 30歳おめでとう!/

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私が照史くんを追っかけるようになったのが2012年なので、23歳の照史くんから30歳の照史くんまで堪能しまくってる7年間ってわけで。

このくらいの年月を掛けて一人の人を見ていることって人生であるのかな?って素直に思うわけですよ。


私は、照史くんはTHE大器晩成型!って思っているので、照史くんがこれからもっともっと活躍していく姿が見えるわけっす。

その時にさ、「いや~、私、ジュニアの時から応援しているんだよね」って自慢したいわけですよ。まあ、今も出来てるんだけどね。

最初の頃はさ、「関西のジャニーズJr.の桐山くんが好きです。」って言っても本当に伝わらなくって、「最後のごくせんに出ている子なんですけど、分かります?」ってしれっと聞いていた。

なんとなく「あ~!あ~!あぁ~!関ジャニの!」って反応だった。

でも、今は「朝がきたの子だよね!」「ヒルナンデスの子だよね!」とパッと話が広がっていく。

本当に説明する手間が省けて有難い。笑


最初業界関係者に「ジャニーズWESTの桐山くんのファン」と伝えると、返答が決まって「ごくせんで売れなかった子」って言われることが多かった。でも、今はない。

照史君がよくコンプレックスとして、このことを話す機会があったけど、業界の人も一言目に出すくらい「ごくせん」って効果って凄いんだなって。ってか、それに出してもらっってたB.A.D.ってまじで凄いんだなって素直に関心もしていたんだけど。

 

照史くんを好きになってから、本当にあっという間だったな。本当に昨日のことのように初めて照史くんを見たとき、デビュー発表の時、日生の時、初めての横アリの時、初めてのツアーの時、初めてのドームの時、たくさんたくさん思い出す。どれも、きちんとファンサを貰ってんだよね。

照史くん程のファンサマシーンを私は見たことがない。望遠鏡で照史くんを追っかけていても、目を合わせてくる。だから、私は「望遠鏡で覗いて目が合ってるって思うときは本当に合っている説」というのは絶対だと思っている。笑


照史くんはどんなに認知していても団扇がないとファンサしてくれないし(私の認識では。団扇持てないとこは別)もしファンサした相手が気付いてなかったら相手が気付くのを確認してから次のファンにファンサをする。基本一公演一回がファンサ。仲良くなったら、暗転中でもお話してもらえたっけ。楽しかった。ちょっぴりエッチだよね。笑


未だにジュニアの頃のファンを見れば自ら話しかけにいている。もし、そのファンが並んでいたら二人纏めて最近は干す。あからさまに干すのは気が引けるので、おしりしか見せないんだよね?笑


別にこんなのはどうでもよくて、照史くんの頭の中のバランス感覚は巧みであると、毎回思っています。干されると腹は立つんだけどさ、それでも、彼のアイドルとしての匙加減なんだなって思うと妙に納得してしまうんだよね。頭悪って言うけどさ、頭の回転は速いし、貴方のトークはピカイチでございます。


照史くんの容量の良い未来を見据えた頭の良さについては、こちらのブログに書いてるので読んでね。笑


https://52831.hatenablog.com/entry/2019/04/24/014859





 

あのね、何年か前に該当インタビューで「好きな芸能人を教えてください」って聞かれて「ジャニーズWESTの桐山くん」って答えて、そしたら偶々そのインタビューアーがリトル東京ライブ(まだ生放送の頃)で仕事してる方でさ「桐山くんがいると、いないとじゃ現場の雰囲気もまとまり方も全然違うんだよ。本当に目の付け所が良いよね。」って褒めてもらったんだよね。凄い嬉しかった。


と、共にね、私がもし該当インタビューを受けたときに誰の名前を出すかっていうのが、私の担当の基準になっているんだよね。


掛け持ちのみなさん、今自分の胸に問いかけて、該当インタビューを受けたときに誰の名前を言うか考えてみてくださいよ。それが貴方の真実です。(メンタリストMATSUKO) 


私は、ここ最近、現場を踏む度に該当インタビューを心の中に登場させていたのです。

うん、皆分かってると思うんだけど、私は「向井康二」っていつの間にか答えていました。

正直認めたくなかったりもして、ずっと照史くんが一番って言いたかったんだよね…。


私、1年前くらいに賛否両論のオタクを辞めるブログを書きましたね。お騒がせしました。

それからファンという括りで応援していました。

あのブログを書いて凄く気持ちが整理できたんだよね。

オタクではなくファンと言ってしまえばそれまでで、それから照史くんとは特別な思い出は出来てない。

今まで本当に濃密な思い出ばかりだから、そうやって名言するってことは色々な意味で結果が付いてくるんだと思ったよ!

で、照史くんと康二くんをフラットな状態で応援してみたときに、まぁ康二くんには色々ありまして、まんまと康二くんに目が離せなくなってしまったのです。

(私は25歳という時期が多分一番好きなんだと思う。笑)


康二ついては、また今度ブログに書かせてください。



 

30歳になった照史くんを自担として、もっと応援したかったな。もっと応援してあげたかった。私の一番として名前を挙げていきたかった。

照史くんは、本当に自分の担当を大事しているから、私もたくさん大事にしてもらった。どんなに回りのオタクに嫌われたって照史くんだけは、いつも笑ってくれてたね。拒絶しないでくれていた。

それが、アイドルとしてでも、私は本当に感謝しているし、私の青春っていうのは本当に桐山照史ありきだと思うんです。

こんなに大切にしてもらえたのに、一番に応援できない後ろめたい気持ちにモヤモヤしながらも、照史くんが30歳になるまでは貴方が一番と言い続けよう。と思っていたんです。

それが、私なりの筋っていうか、そんな軽はずみに言えないっていうか、(全然康二に対しては一生懸命応援してるんだけど)私の中でのケジメなんだよね。


こんなこと言うのもおこがましいけど、照史くんと私は似ているところが結構あってね。

誰かが傷付くならば自分が真っ先に傷付きにいくところとか(互いにヤンキー気質)なのに、一番落ち込んだり引きずったりするとことか。

空気読んで、孤独になったり。孤独を見せないように笑ってみたり。ストレスで暴食したり。

顔も話し方もなんか似ていたよね。似てるなって思ってた。クソ真面目なところも。


だから、弱ってたりするとほっとけなくて…私が応援しなきゃ!なんて思ったりして。

でも、もうそんな弱いところも最近は見てなくて、ね。もう30歳だから、そうだよね。

良いことなんだけどね、やっぱり寂しく思ったりもして。

でも、だから私も安心して康二を応援出来たりもするんだなって。照史くんが背中押してくれてんのかな。って自分で勝手に思ってるのよ。


 

何回も何万回も言うけれど、私くらい幸せな桐山担はいないから!!!!!マジで!!!そこだけは、これからどんなに干されても言い続けていくから!!!全桐山担言っていこうぜ!!!本当に本当にありがとう。

 

照史くん、絶対に味方でいてくれてありがとう。

 

掛けてくれた言葉も、握ってくれた手も、渡してくれたサインボールも、手紙の返事も全部全部私の中の一番です。




 

仲良くしてくれた桐山担達へ。

 

いつもありがとう。照史くんと似てるって言ってくれてありがとう。

私のことさすがって褒めてくれてチヤホヤしてくれてありがとう。

 

そうやって甘やかしてくれるから同担と仲良くできるんだよなぁ。笑

 

 

そして、自担メロメロの熱きライバルの桐山担達へ。

ライバルでいてくれて、ありがとう。

 

貴方たちがいるから、私は次にいけるのです。

貴方たちが私の背中を最終的に押してくれるのだ。

 

これからの照史くんをよろしくお願いします。

人一倍傷つきやすい彼だから、30歳になっても、自分から傷付きに体当たりしていくんだろうなって思うんです。

 

そんな時に私も声を大にして照史くんを守りたいんだけれど、きっともっと私よりも大きい声があるから。熱量も全て、皆の方がきっと上です。

 

だから、私は次の担当を守れるように強く大きな声を上げていきたいと思います。

 

 

私が照史くんを一番に応援していくかどうか。ってことに本気で悩んでいて、スノーマンの単独ライブで三宅くんのジュニアからのファンの方に偶々相談させてもらったのよ。

そしたらさ、「健くんがデビューしてからパタリと現場いかなくなって、10年後にあの頃使っていた団扇を引っ張り出してコンサートに行ったら、健君その団扇を見て「久しぶり」って言ってくれたんだよね。だから、きっと、あの頃のファンってのは忘れないもんだと思うよ。」って。

そっか―――――!!!!ってなった。

多分照史くんも同じこと言うなって。

アイドルとして当たり前なのかもしれないけど、心からの「久しぶり!」を貰える関係だったんじゃないか、と。この7年で、それは築けたんじゃないかって思うから。

 

いつか、照史くんに親子席で子ども抱っこしてもらうの夢なんだ!いつもの団扇。ずっと使ってる団扇持たせて、ビックリさせたいの!最近の夢!!!

 

と、ここまで書いておきながらも、コンサートに行かないわけではないので「また口だけかよ!」とか思わないでね。行くわ!楽しいもん!!!

 

 

20代の照史くんと一緒に駆け抜けた日々は本当に私の財産です。

こんなにキラキラした自分にもアイドルにもこれから人生で出会えるのかな?なんて。

 

でも、私も次もキラキラできるように、精一杯オタクしていきたいから。

照史くんも、いつまでも素敵なアイドルでいてください。

 

 

バイバイ!!!!大好き!!!!!

最高の自担でした。


夢をありがとう。私が一番幸せだって、思わせてくれてありがとう。




絶対に手を離さないでくれて、ありがとう。


その手を私自ら離してしまって、ごめんなさい。



また、戻ってくるから。絶対。


戻ってくるから、その時は、その手を私も離さないから。



というか、多分心根では私もずっと手を繋いでると思う。





その時はいつものように鼻で笑ってくれていいよ。笑ってくれ。





本当に本当に大切な人、心から大切な人。


幸せになって下さい。


もっともっと沢山の人に認められて、


沢山の人に幸せを与えて下さい。



30歳の照史くんの人生も実り多き豊かなものでありますように。






 

 

照史くん、シアターコクーンで会おうね!!!!!!





 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャニーズWESTを好きになれた話。

いや~、ジャニーズWEST5周年でしたね!!!

過去形。結局番組協力当たらなかったので不貞腐れて、滝沢歌舞伎観ていたんですけど(康ちゃんカッコいい)結局きちんと言葉にしてお祝いしないと気が済まないのかもねってことで、ブログを書きます。10年目はもっ

 

 

色々あったね、この5年間。いや、その前からずっとずっとだね。私より前から彼等を応援していた人も、最近彼等を好きになった人も一つ一つの大事な思い出ってあるんだろうな。5年前の私は自分が一番幸せな桐山担だと豪語していた。揺るがなかった。そう思わせてくれるのは、何だったんだろう。無駄な信頼関係を勝手に抱いていたんだ。

そんな狭い思考回路でハッピーオタクをやっていたから、本当に毎日ハッピーで、戻れるもんなら戻りたい。

 

でも、きっと、そんなこと当の本人は戻りたいなんて絶対は思っていないだろうし、苦しかっただろうな、って思うのでね、言いません。笑

デビューした時のカウコン。望のあの表情は衝撃的で、今でも思い出すんだよなぁ・・・。カウコンでアリーナ最前列の桐山担と神山担の四連壁団扇強烈だったよね。発表と同時に神山団扇が画面から消えたのが印象的で。残酷なもの年明け早々見せられてしまって、偶に思い出すんだけど、元気にオタクやっていて欲しいなって思たりする。

そこからのあけおめ。空元気な神ちゃんのあの笑顔と、自分に正直な流星のあの顔と、濱田くんに関しては覚えていない。見てられなかったんだよな、大人過ぎて、辛かった。覚えてる?あけおめオーラスの時にメソメソ泣いているオタクのトリプルアンコの前の「もう、皆、かいさ~ん!!!」と高らかに言った淳太。全くそんなつもりじゃないのに、もう雰囲気で一発KOな言葉で、「違う違う、そういう意味じゃないから!!」って照史が全力でフォローしたのが、大層な墓穴で。(5年目だから笑い話にしちゃうね。)本当器用そうで不器用な二人のアップアップな姿。レアなのか、何なのか。絶対今の関ジュでそんなこと口にしちゃう人いないでしょ、大吾も丈も絶対に言う姿全く想像できないもんね。兎に角、そこまで、アップアップだったわけですな。

その不器用な二人組の不穏な流れはそのままラジオに引っ張られていってさ、大炎上したね。でも、あれは、私は絶対に大人の理由の尻ぬぐいだと思っている。傷つきやすいくせに、すぐ背負い込む彼の良いところであり心配なところ。そうやって、真っ先に傷つきにいく不器用さ。でも、そのエネルギーに私は幾度となく奮い立たされたので、感謝しているので、治してほしいとは思いません。

結局7人であの日生劇場にいてくれたことが、4人のポスターが張り替えられたことが、しまむらみたいな服の4人と3人のクリアファイルが、全員集合の何とも言えないポスターが、噛みしめた。そして喜んだ。それでもあんまり、自担の周辺の空気は良くなくて、私は初日の照史のファンレターは10枚以上の枚数を超えてしまった。少しでも元気になって欲しくて、本当に必死だった。桐山担以外全員敵に見えちゃって、孤独でさ、桐山担の友達いないことに本当後悔した。(同担拒否精神的にもダメ、絶対。)

本当照史が何で、真っ先に傷つきにいってしまうのか、そうして強がってしまうのか、私はいつも疑問で不安で、片時も目が離せなかった一年目。

念願の横浜アリーナのイベント。センターしか埋まらなかったね。アリーナも埋まってなかった。今じゃ考えられないけれど。でも、それでも喜んで、幸せそうにサマードリーマーで花道を駆け抜けていった照史くんを私は忘れはしないのだ。あそこにいた桐山担が口を揃えて話していた、あの照史は忘れられないって。

「だって、辛かって~ん」って泣いてくれた、照史くん。やっとやっと、弱いところを桐山担以外にも見せられた瞬間の安堵感。すごく、ホッとしたの。

ずっと、WESTについてモヤモヤしていた神山担がさ、「あの時、照史が泣いてくれて良かった。」って自分のモヤモヤもそれで晴れたとか(もっと良い言葉で伝えてくれたのに文才なし)伝えてくれて、照史の弱いところは、色々な人の気持ちを晴れさせるんだなって、そんな照史の雨のような涙も、人の心を晴れ晴れとさせるんだな・・・!!えぇ。ジャニーズWESTの12枚目のシングルが「アメノチハレ」ってタイトルなの!?!?今日発売だって!?えぇ、何もう偶然!!!!!

でも、同じ時期に照史くんの声がどんどん小さくなっていくのが辛かったな、私はやっぱり曲中でも照史くんの声が分かるあのボリュームが好きで、それで耳が慣れていたから、本当に寂しかった。

MCの時のグイグイも好きだった。でも、いつからか、照史くんは喋らなくなっちゃって、望やしげのメイン所しか話を回さない。望の一生懸命な暴走も桐山担の私にとっては苦痛すぎて、ダメージでかかった。

でも、もうジャニーズWEST自体が迷走していて一生懸命であるのは凄く凄く感じてはいたので、それを攻撃的に口にすることはなかったけど。楽しかったけど、メンバーもファンも辛かった時期だろうな、と。そこで、私の周りのオタク友達もポロポロと離れていったので、寂しかった。

私もこの5年で大分大人になったので、骨は骨折したら強くなるように、何かを壊していかないと新しいステップには進めないもんね。その強くなった骨の部分を今のジャニーズWESTに感じているって前置きなんですけどね。コレ。

 

だってさ、照史のグイグイ加減が好きで「俺のことしか見るな!」ってずっと教育されてきたのに「ジャニーズWEST7人を好きになってください」っていきなり言われてもね、無理だよ!!!いや、好きだけどさ、やっぱり淳太が二番目に好きだし、濱田くんだって特別だし、7WESTはやっぱり7WESTだったし。逆の立場でもそうだろうしさ。いきなり仲良くなんて~、しかも私の好きな照史が見れなくなるグループって不満。

でも、離れられなかったんだよね、この5年。ってか、Jrから見たらもっとだけれど。本当離してくれないんだよな、情なのか、思い出なのか、信頼なのか分からないけれど、ずっと手を握られていた。

 

私は桐山担だから他のメンバーがジャニーズWESTのことをどう思って欲しいとか、そういうのって全く分からないんだけどさ、私が桐山担だから照史がどれだけジャニーズWESTを大事にしてきたかってのは痛いほど伝わっているわけ。

だから、分かってあげたかった、分かろうと努力した、分かりきれない割り切れないことも多かった。でも、今年のカウコンを見て、照史がずっと大事にしてきたものってのがやっと見えて(遅くてごめんね)それが少し色付いた気がして、とっても、嬉しかったんだよね。

 

今のジャニーズ事務所の目まぐるしさって言わずともだろうけど、メンバーの脱退、活動休止、解散。私は、この目まぐるしさの渦の中にいる該当担ではないけれで、それでも辛かったから。

こんな状況の中のカウコンを誰が盛り上げるんだろってドキドキしていた、年末。どんな空気になるんだろ、どうするんだろ、内心色々考えてて。

そこに、ジャニーズWESTがどうとか、そんなことは過ることもなくて(コラコラ)でも、オープニング。ジャニーズWESTで「ズンドコパラダイス」ここにきて、ズンドコか~い!!!って全力でズンズンした。そしたら、周りもズンズンしていた、踊りやすいんだよね、あの曲。キャッチ―だし。拳上げるだけで、一緒に踊ってる雰囲気でるもんね。言ったら曲に合わせてペンラ振ってるだけで、産まれちゃう一体感、ズンドコって凄いんだよ。笑 からの粉もん。(マジかよ、粉もんは踊れないよって焦る私)周りのジャニオタ、変な曲だからって笑っている。バカにしてる笑いじゃなくて楽しんでる笑いね。からの、アカンラブ・・・・あかーーーーーーん!!!!!って内心思ってるジャスミンの声とは裏腹に会場盛り上がる!!!!皆でピロピロしてるの!!!隣の泣いてた滝様ファンの方も「面白い!」ってピロピロしてるの。始まる前グスングスンしていた、人達が笑顔でピロピロしているの!!!!ナニコレ!!!!!

ジャニーズWESTのライブ行ってるとさ、感覚麻痺しちゃってさ、「はいはい、ボンボンキュボンボンキュボーンね、」みたいなテンションでオッパイ寄せちゃうけどさ(語弊)もうパラパラ慣れしちゃって感覚まで慣れちゃってるんだけど、こんなに会場が温まってしまうんだ!!!って目から鱗だったの。

からの全力フレディのエビバディゴー!!納得しました。彼等は彼等の役割を全身全霊で引き受けていると。それは絶対ジャニーズの中で存在しなくてはいけないポジションだと思うし、だからってどのグループでも出来るポジションでは全くなくて、エイトも激動の今声を上げて全力で受け入れていく仕事人グループを私は今まで追っかけていたんですね!!

そりゃ、オタク心としては東京ドームのセンタステージでアカツキとか歌ってくれた日にゃ溜まらないわけよ。カッコイイWEST見て欲しいんだもん。私が知っているカッコイイWESTを他のグループのオタクにも知って欲しいんだもん。

 

でも、彼らが今求められているものを冷静に考えてみると、その茶目っ気のあるパワフルな彼等で、逆に今それが出来るのってジャニーズWESTしかいないんじゃないかなって思ったわけなんですよ。逆にカッコイイ曲を出来るのって、アイドルならどのグループもできるよね?え、このポジション美味しくない!?ってより、何よりもこれだけの人を笑顔にできる彼等って凄くないですか!?お目当てじゃないのに、その盛り上げちゃうエネルギーって強くないですか!?!?

そして、こんな状況でメンバーが一人も欠けることなく、そこでアイドルをし続けていることの安堵感。重要性。今、やっと分かったんだよね。幸か不幸かこの状況になって照史が口にしていたことの、大事なことって分かったんだ。

 

7人でそこに立ってプレイフルに活動してることの重要性って、今この環境に立たせれると、どれだけ大切なことか、どれだけ大変なことか、彼等が手探りで求めてきたものの結果が実ったんだって素直に嬉しく思ったの。

 

だから、もしカッコイイ彼等を見たくて少しでも落ち込むことがあったりしたら、その後ろで元気になっている人がいるってこと、何となく考えてみるとちょっと幸せになれたりするかも。誇らしくなるんだ、そんなジャニーズWESTを応援していたことを。

 

だからそ、今が勝負時。でもさ、それでも、7人でいることを大事にしていたからこそ、こういう今の事務所の環境がチャンスと言ったら、凄く後ろめたい言葉になってしまうけれど、でも、7人でいることって最強の武器だよね。

デビュー当初は、夢は国立とか言っているメンバーもいて、その時聞いた私は謙虚じゃないなってちょっとモヤモヤしていたけど、もしかしたら嵐みたいになれる日も来るんじゃないかって、そんな現実を想像したりもする。

だからこそ、今回のツアーは楽しかった。何だろう、ジャニーズWESTがエンターテイメントだった。シゲが一段とアイドルセンターしていたり、流星の全力コントだったり、何か本当に自分たちを商品として提供してくれた感があって、お得でした。ガッツリ色々肝に据えた彼等、ジャニーズWEST売れる気だぞ!!!!売れる気だ!!!!そんな決意が見えたツアーだった。

 

キンプリちゃんみたいな爆売れ街道を走っていきたかったんだろうけど、現実はそうでもなくて、しんどいこと、思うようにいかないこと沢山あっただろな。でも、7人に拘ってくれて、7人をまるっと好きでいろって口酸っぱく言ってくれた自担に感謝しかない。

結局、どんなことであっても手を離してくれない照史くん、未だに松竹時代に見かけた団扇を見つけたりすると、照史くって凄いんだなって関心するんだよなぁ。

会場が広くなって、ファンサが貰えなくなって、団扇を投げつけたい日も、そりゃ、あります、人間だもの、オタクだもの。

 

でも、それでも、まだまだ付いてきたいと思うのは、ジャニーズWESTを好きになれたから。

照史くん、私。やっと、ジャニーズWESTを好きになれたよ。照史くんだけじゃなくて、ジャニーズWESTが全部丸っと大好きになれたよ。

これからもっと楽しいね。これからもっと、もっと楽しくなるね。色んな景色を一緒に見ようね、見せてね。7人と一緒に。

 

 

一歩一歩だけど、手探りで何か一緒に苦しんだ気でいた頃も楽しかったし、幸せだった。その一歩が間違えじゃないって答え合わせができる今はもっと幸せだ。

 

 

 

 

 

 

 

笑われてもいい くそ不器用でもいい

零す笑顔の分強くなれ

君と目指した夢 俺を見つめる瞳

それが答えなんだ それだけを信じて

踏み出せ 踏み出せよ

その一歩を踏み出せ

 

 

 

 

 

PS.初MCおめでとうございます!!!!正直遅いよ、照史くん!!!!!もう!!!!!もっともっと自慢させてくれ!!!!(しゃべくり見たよってめちゃくちゃ一般の人に言われて幸せだよ、今の私。フー!!!!)