最前列に何度入っても目も合わせてくれない自担が数年後ファンサマシーンになりデビューした話


皆様、2019年も大変お世話になりました。本当にこんなに感情を曝け出した一年ってあるのかな?って思うくらい、オタクの皆の前で泣きじゃくることが多かったんじゃないかな。良い歳したアラサーのオタクがインターネット上で出会ったお友達に一喜一憂、自分の感情を曝け出すって、こんな時代に幸せな人間関係だなって、思うわけですよ。私のことかな?って思う貴方。そうです。貴方のお陰です。私が泣いたところで、叫んだところで、何も変わらないのに、いつも私の小言に向き合ってくれてたね。いや、今年は兎に角多かった・・・すみません。助かりました。私が嫌だと泣きじゃくるたびに前を向く言葉を掛けてくれた貴方のお陰で、私は本日カウントダウンコンサートにいるんだと思います。だからね、本当に感謝。最初にね、伝えておきます。笑


無駄に13000字もいってしまったので、紅白観たいんじゃい!って人は1番下までスクロールして下さい。要約しました。


そういえば、カウコン復活当選したんだけれど、ジュニア情報局の向井名義で。最後のジュニアとしてのお仕事を連れてってくれる向井名義に何かロマンティックな気持ちになってしまったのです。やっぱりデビューは寂しくて、いくつか向井名義のままで更新した名義の一つなんだけれど、そんな気持ちを汲み取ってくれてるのかな?なんて。ふと、考えると、私が康二を認識したのって、2012~2013のカウントダウンコンサートで、グイグイいく照史の横にいる康二だったんだよな。

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あれから、7年後に康二に対してギラギラ眩しくて、こんなにもメラメラ燃え上がってしまうなんて、やっぱり何だかロマンティック。そんな、感情になるのってこれから先に、どれくらいあるんだろう。ちょっぴり終わりも知ってしまう感情だと、オタクが長いと分かってしまったから、やっぱり今、全力でオタクしていこうって思うんだよね。


そんなこんなでね、毎年この仕事納めからカウントダウンコンサートに掛けての数日間が一年で一番暇な日でして、毎年カウコン終わりに実家帰って家族で温泉旅行して、ジャニーズWESTのツアーの初日に入って、そのまま大阪であけおめコースだったのですけどね。なんか、2020年は久々にゆっくりできそうで、ちょっくら家族孝行でも。って遠出してきます。これが、応援している担当が大きくなるってことなのかなぁ。そんなこんなで、ここ最近の康二のこと。私のこと。何となく振り返っていこうかなって。ちょっとリアルタイムで言えることができなかった、あの時の感情を心の大掃除ってことで、綴らせてくださいな。



私が康二を意識するようになったのは、ジャニーズWESTの初単独横アリのあけおめコンサートだったかな。当時好きだった人に康二が似ていたのがきっかけでした。こんなヒョロヒョロな人に惹かれることが何となく自分の中のプライドが許さなくて、見ないようにしてました。それが、あのカウコンの時の康二としてリンクはしてこなくて、何か、太秦の舞台挨拶とかB.A.D.の後ろをチョコチョコ着いてってる子だなぁ。私は太秦に神ちゃんが出てないことが悔しかったので、何故か康二への個人的な当たりが強かった。ごめんね、、、笑


そんなとっからが、康二のスタートで、だから本当は好きになりたくなかったの!でも、ちょっと目が離せなくなっていって、照史と康二をどっち見ていいか分からなくなったパリピポツアー時。私的に照史くんと一番思い出がある時期でもあるんだけれど、康二も見たくて、照史くんがどっか別の方向見た瞬間に康二を探していた。凄い瞬発力だった。ツアーが終わる頃には「落ち着いて康二が見たい」って感情に変わっていった。ので、もう足を運ぶこともないであろうと思っていた、松竹座に足を運んだのが、2015年「少年たち」。WESTの友達もいない一人ぼっちの松竹座。あんだけ意味もなく認めたくなかったのに、康二を見る感情が抑えられなくて初日に入ってしまった。早く見たい。康二を見たい。って感情しかなかった。だから、WESTのいなくなった松竹座に対する焦りとか、何かそんなもの微塵も感じてなくて本当お気楽だった。康二が見れればいいのだ。私は。その気持ちで緑色のワンピースに袖を通した。

ワクワクした能天気な私の感情とは裏腹に苦しんでいる康二がいた。担当の感情なんて見えて見えないものだと思うし、オタクから見た完全な主観でしかない。ましてや、私は康二をしっかりと観たのは初めてだった。それで、この感情、どういうことなんだろう。何にこの子は苦しんでいるんだろう。って目が離せなかった。

逆にこの頃より以前に康二を応援している人はどんな感情で見ていたんだろうか。普通に気になる。私の周りの康二担は本当2015年夏松竹出が多いので、本当に気になっている。もし、これを見た該当康二担さんは、マシュマロとかで教えてくれると嬉しいです。

その頃、金髪の重めの前髪で、全く目が見えず、表情もわからなかった。それまでは、おちゃらけてケラケラしているイメージなのに、松竹座のセンターに立っている彼はあまりにも闇深くって一気に興味をそそられた。その笑顔とは裏腹に隠し切れない、いや隠そうとしてない闇っぽい、影っぽい部分。今では想像もつかない、愛想のない尖っている康二くん。なんだろうね、本当に何考えてるか分からなくて、放っておいたら倒れちゃいそうで、私の母性が爆発したのだ。2枚だったチケットはいつの間にか8枚になっていた。あの時から、今の今まで、私の母性はダンシングダイナマイト。心躍らせて持って行った初めての康二の団扇は結局康二は一回も見ることはなかった。初日の二部で龍太くんが土下座してさ、康二くんもペコペコして団扇出さないでってお願いされちゃったんだもん。団扇の出せない松竹座とか!!!!って青天の霹靂だった。団扇こそが青春だったのに、でも今では好んで団扇を出さなくなったのは、松竹座のお陰。その選択を与えてくれる関係性を築けたのは、康二くんのお陰だし。これから先、売れて遠くなってしまっても、松竹座時代の彼を応援していた優越感に浸れたらっていう、下心もあり。団扇を出さないで勝負できる距離ならば、私はやっぱり出さない選択肢をし続けていこうかな。とかおもっている。


そこから数年、春・夏・冬とユタカライナーとお友達。(池袋発関西行きの夜行バス)毎回松竹座には足を運んでいたはずなのに、思い出そうとしても記憶が何もない。でも、楽しかったし、串カツ美味しかったし、朝日プラザホテルで酔っぱらいのおじちゃんに絡まれながら康二の話をするのも楽しかった。大阪に出張という名目で関西人と酒を飲みたい為に街コンに行くのも楽しかったな。友達いなくても、楽しかった。

どんなに足を運んでも、康二が私に微笑んでくれることはまずなかったし、本当に認知のファンにしかファンサをしてくれてなくて、凄く凄く悲しかった。目が合った!って心が躍ってもサッと、逸らされてしまう。それでも、心をボキボキ折りながらも、毎シーズン最前列には入るようにしていました。ファンサももらえないのに。

その時期に照史くんは、そんな私を包み込むように毎回手厚いファンサをし続けてくれていたので、私は節操もなく康二にトライしていた。康二にまたそっぽ向かれ落ち込むたびに「康二何か辞めとけ・・・」と、一番仲良いオタ友が背中を擦ってくれていた。

やっとできた公演を入る安定の相方には「康二くんは、本当照れ屋だよね」と毎回声を掛けてもらっていた。何が照れ屋だ!!!いい歳して!!!と内心思っていたけど、私も本当に康二が照れ屋だと思っていた。その当時。本当に照れ屋だから、前列入って顔覚えて見慣れてきたら、きっと、ファンサしてくれると思っていた。純粋!松子ちゃん、純粋!

アイドルの視界に入ってもスルーされることって、本当に初めてだったし、それが2.3年続いていたから、ここだけの話、何度も転生した・・・。量産系になってみたり、ネタ系になってみたり、色々試したりして、何とか康二に受け入れて貰おうと必死だった。ファンレターの名前も変えたり、無駄だと思ってもありとあらゆる方向で最善を尽くしていた。いつの間にかめちゃくちゃハマってるやん。恋愛してんじゃん、私。恋愛するとゲロ重ガールの松子ちゃんは、いつも男の子とお別れするときは、ブロックシャットダウンされちゃうけれど、康二くんの心がシャットダウンでも、物理的には康二くんがアイドルでいる限りシャットダウンは出来ないわけだから、なんていうか、私の執着ってここまでなんだと、思い知ったな。一種のホラーだわ。

見学席に先輩がいるとファンサをし始めて、見学がいることを祈ることも多かったなぁ。そんなこんなで、康二が大分精神的に大人になって、私を受け入れてくれた時期、もしくは照れ屋を克服した時期wwwと私の四度目の転生、「ガンガン盛り上げ松子」の時期が丁度いい感じでリンクしたときがある。マジでX軸とY軸が交わる感じでピタっときた時期に、ちゃんと目を合わせてくれるようになりました。微笑んでくれるようになりました。需要と供給って意味を初めて習ったときは、全然分かっていなかったけれど、大人になるとこうやって肌で感じることが多くなっていくんだと。まじまじ。

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良く康二担にあの頃の康二はジャックナイフだったね、って話てるんだけど、んじゃ、あの康二がバターナイフみたいになったのはいつからだっけな?って話をすると大概「三宅君と初めてお仕事をした滝沢歌舞伎」って言われる。三宅くんってファンをめちゃくちゃ大切にしてる人なんだね、色々調べたり、聞いたりしたらビックリするくらい人間として機能している人だなぁ。と尊敬する。そんな人に憧れてたら、やっぱり影響力は凄いんだろうな。でも、佐久間くんと三宅くんが二人で仕事しちゃうし、何かちょっと悔しい。三宅くんが好きであることに、康二は委縮しないで欲しいな、なんて思ったり。

私が、康二が変わったって思ったのは、いつだろうな?って思ったら、何となく、大学を卒業した辺りなんだよな。誰と仕事をしたかってのも大きいだろうけど、やっぱり康二は康二の人生の節目にきっちりとケジメ付けてんだろうなって。まあ、成長するってそういうことだよね。

ジャックナイフ時代は正直、康二調子乗っていたと思うんだよね。ちょっと力を抜いてるなって感じる瞬間も結構あった。でも、求められたことはちゃんとこなしているし、何も問題なかったんだけど、もっと藻掻いてる姿も見たいなって思っていた。なんか、周りがメキメキ力を付けているのが分かるけど、康二はある程度のとこまでいってるから、もうこなれちゃっていて勿体無い!!って思っていた。でも、東京で仕事をするときは目の色が変わる。全然パフォーマンスが違うんだよね。背筋すら違う。東京で勝負して、関西でホッとしている感じ。そのメリハリを康二担として楽しんではいたけど、東京で仕事するくらいのギラ付きでいたら、康二の人生はもっと変わっていたのかなって、デビューが決まった今でも思うときもあるし、康二自身もたまにポロっと零す言葉にあるなっても思ったりする。

東京のSixTONESとの仕事の時は本当に私まで泣きそうだった。ストの輩加減ヤバい!あの頃のストはカースト上位過ぎる!田舎のヤンキーかよって感じ。本当、いつ康二が傷付けられるんじゃないかっていつもハラハラしていたし、めちゃくちゃ敏感だった。その度に凹んでる康二を見ると、私の母性がダンシングダイナマイトしていた。その時にいつも助けてくれたマンズ兄さん達。特に阿部ちゃん。本当好き。大好き。私は、そっからスノの公演にちょいちょい行くようになりました。あの時の感謝を忘れないぞ。康二はずっと嬉しそうにSnowManの話をしていたから、康二がこういう形でいれることが、素直に嬉しい。加入先がスノで本当に良かったと思ったのは、加入を聞かされた当初から揺るがないなあ。阿部ちゃんが、あの頃「康二!康二!」って言ってるの好きだったな。メールもたくさんくれたもんね、あの頃の阿部ちゃん本当に感謝。やっぱり康二はスノと仕事をすると格段に成長して松竹座に戻るし、凄く分かりやすいなって思っていて。スノって凄いんだろうな、って康二の変化で分かるくらいだったなぁ。


そんなこんなで、やっぱり開いていく東京との差。康二と大吾の2TOP、りゅちぇと龍太くんの4TOPS、凄く大好きだったけれど、長くは続かないこと、限界に近ずいていること、何となく分かっていた。だからといってアイドルの枠を飛びぬけて活躍するために、得意のバラエティー番組に引っ張られる程の知名度はないし、だからって芝居に特化したいわけではないのは、康二を見ていたら分かる。モデルの仕事も消去法で口にしているように見えてしまっていたんだな。超似合うけどね、モデルも。でも、やっぱり芝居は大吾、笑いは丈が持ってってるイメージだったから、強いて言えば此処かなって選択にも見えてしまっていた。それなりに器用にこなしてきた康二だから「アイドル」って職業以外に選択肢なんてないって、きっと本人も康二担も分かっていたと思う。やっぱり、歌って踊って面白い康二にぴったりなのは、アイドルでいることなんだと。でも、その選択が出来なくなっていることが、本当にジワジワ寿命のように、伝わってきていた。


それが、確信に変わったのは、康二が松竹座での最後の少年たち。看守長役だった。看守長役ってのは、フレッシュからは一線引かれてしまう。どこか、アイドルとして俯瞰したポジションに位置付けられてしまう。ついにこの日が来たか。という感じだった。周りの康二担はいつもと違う康二の役どころに素直に喜んでいて羨ましかった。私は、悔しくて怖くて、これから他のジュニアと開いていくであろう溝を勝手に構築して震えていた。後々聞いたら、これを感じていたのは私の周りの康二担はほとんどで、それでも口にせず現状の康二を楽しむようにしていたことが、分かって、本当にオタクの鏡だなって思う。そういうオタクに私もなりたい。


私は、この頃から、ジャニショで康二の写真を買えなくなってしまった。そこから、康二が関西を離れるまで、一応フォトセットは買ってどこか奥底にあるけれど、何かに恐れて康二を摂取することを自ら辞めていたのかもしれない。結局、夏松竹も前半しか入らず、後半のチケットは手放した。友達に「いいから、後半も見なよ」と何度も背中を押してもらったけれど、見れば見るほど、やっぱり怖くて、なんかそういうとこ敏感なんだよね、素直に楽しめなくって、何となく、心の準備が上手いと思う、私。


そして、来ました。なにわ男子結成。「関西ジャニーズから久々のユニット結成!」って謳い文句で、公式よりも先にドル誌で結成発表。ドル誌で発表とかって今のなにわ男子じゃ考えられないくらい勿体ない発表の仕方だよね。でも、このチープさが関西ジャニーズらしくって、どこか落ち着いてしまうね。グループが出来たことは、素直に嬉しかった。「なんで康二がいないの?」って一ミリも思わなかった。来るべき時が来たんだなって感じ。私の周りも「どうして康二がいないの?」なんて誰一人呟かなかった。ただ、粛々と見慣れた文字列に無い自担の名前を探しては落ち込み、悲しむだけだった。グループが結成された時は、こんなにもなにわ男子の勢いが凄いとは思わなかったし、正直舐めていた。まだまだ、康二の需要もあるし、色々な手があるとも思っていた。それでも、辛かった。これから置いてきぼりにされるんじゃないか、康二も康二担も大好きだった場所から切り離されていくんじゃないか。康二はそれに耐えてまで、アイドルでいることを選択するのか。毎日毎日康二のことを考えて泣いていた。なにわ男子が結成されてからの康二の写真は笑顔がない。パタリと消えた。目が死んでいた。こんなに、あからさまに分かるんだって顔。それでも、前向きな言葉を絞り出している康二に、また胸が痛んだ。


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新体制の風が少し吹き始めた頃、梅芸が始まる。


オープニングのハチャメチャ音頭。康二のポジション。大吾も流星も横にいない。二段目のポジション。康二のいるはずだった場所にいる、丈と大橋。これが、康二に与えられた場所なのか―。と、それでもニコニコの笑顔ではしゃいでいる康二を見て、もうダメだった。関西ジャニーズジュニアを心底大好きなんだろうな。って思った。康二は自分の為じゃなくて、今、関西ジャニーズジュニアの為に笑っているんだ。ひしひしと伝わった。一目見ただけで涙が止まらなかった。どんなに席が良くても、他のジュニアに目移りもせず、ずっと康二の団扇を掲げて、康二だけを見ていた。今、私が康二に伝えられることは、できることは、それしかないって、涙も拭わないでずっと見ていた。そしたらさ、康二客席降りの時に隣にいてくれたんだよね、なんていうか、今まで私がジャニーズから貰ったファンサの中で一番のファンサだったんだけど、そうやって、初めて康二が私にアイドルとして媚びてくれた瞬間だったの。その時に、康二まだアイドルでいてくれるんだな!って確信に変わったのね。あぁ、康二がファンとして私に媚びてくれるなら、出来ることは全て康二にしてあげよう。って思った。一緒に戦ってって意思表示をしてくれたんだと思ってる。それでいいんだ、都合の良いファンでいい。康二がアイドルでいてくれるなら、血の果てまで都合の良いファンでいたい。前を向く康二に私も突き動かされていた。その後、明星買いこんで、恋人にしたいランキングもバカスカ投票した。私は、私が一番で、それはいつだってそうだったんだけど、この時初めて、自分ではなく誰かの為にお金を使った。


それでも、やっぱり残酷なのか、新しい風は轟々と勢いを増していく。最後の関ジュとしての松竹、最後のクリパ。最後なんて思わなかった。私の不安とは裏腹になにわの勢いは凄い。世間がなにわを欲してる。幕が上がる前の大橋のソロの勢いが、康二のフェイクだったであろうパートがどんどん大橋が歌っていくことが、たまらなく怖かった。私は、大橋のことは好きだけれど、大橋の歌声を聞くと一発目に身震いを未だにしていしまう。トラウマになってしまった。マイナスなことなんて何一つないんだけれど、そのくらい恐怖が植えついてるんだよなぁ。

クリパ期間、毎週月曜日にいなくなる康二。新しい仕事?理由も聞かされないままに、不在。いきなり唐突に泣き始める、後半日。千秋楽でもないのに様子がおかしい。でも、やっぱり理由がわからない、ただただ、前向きな言葉を紡いで、都合の良い解釈をするしかなかった。千秋楽付近にはしっかり落ち着いて、なんとなくいつもの康二に戻っていた。もう、この頃にはスノになるって意思を固めていたのかなって思う。クリパ8公演入ったかな・・・もっと入れば良かったなぁ。康二担が口を揃えて言う言葉、BEST3には入る「クリパ、もっと入ればよかった。」笑



そして、あけおめ。あの時の全てが康二の最後だったなんて考えたくもない。一緒に踊った、あの曲も。一緒に歌った、あの歌も。全部全部最後だったんだ。正直、私は龍太だけだと思っていた。康二はアイドルでいてくれることは、梅芸のファンサで確信していたし、絶対揺るがないって思っていて、まさか、東にいくなんて、誰が予想できたのか。康二も辞めるんじゃないかってタイムラインに流れたときも、絶対にないって思っていた。でも、じゃ、あの空気は一体なんだろう?やっぱり、どこかおかしかった。みんな、みんな泣いていた。あたしも泣いた。声を上げて泣いた。泣かせてくれてありがとう。そして、泣かないでいてくれた、丈、ありがとう。そして、ポップアップさせたる!!!ってまた、意気込んだのです!


二週間後、涙の意味をやっと理解する。スノーマンの加入。嬉しかった。素直に嬉しかった。康二がまだアイドルを続けられる。アイドルとして、ステージに立ち続けられる。その寿命が延びたことに本当に安堵した。でも、知っての通り、そんな簡単に受け入れられるわけじゃない。そりゃぁそうだ。私だって逆の立場だったら、きっと無理なんじゃないかと思う。未だに六人派はいるし、でも康二が嫌いなわけでないのも分かる。でも、しんどかったなぁ。ぶっっちゃけね、私も康二が関西ジャニーズジュニアとしてアイドルを続けられたら、どんなに良かったのかって、これから先もずっと思い続けるんだと思う。やっぱり慣れ親しんだ歌を、康二が歌っていた歌を別の子が歌っているのは心が張り裂けそうになる。どうして、大吾の後に康二の声が聞こえないのかって、頭の中では康二の声が再生されているのに、歌っているのは別の子。処理ができない。康二が関西ジャニーズでいれなかったのは、康二もさることながら、康二担の応援も弱かったのかな。いさせてあげたかった。って、自分の応援の仕方を反省もした。兎に角、私は生粋と関西担なので、全く東ジュを知らない。東京に住んでいるのに本当に勿体ないとよく言われたもので、端から興味がなかった。関ジュ独特のホーム感。一緒に歌おう騒ごうっていうあの感じ。品の良さとは無縁だった。そうなると、どうも物足りなくて、スノの曲も全く知らないってのも大いにあるんだろうけど、中々慣れなくて苦戦した。


そんな時にたまアリのなにわ男子との合同コンサート。なにわ男子はガッツリ関西の十八番で勝負してきた。その、どれもこれもが大好きな曲ばかりで、そこにいない康二をずっと探していた。ロマンティックも、いつも指していたはずの彼がいなくて、泣きながら歌った。それでも、関ジュが関東の仕事の時は背中を押してあげたくて死ぬほど、歌うし踊る、でも、泣いていた。たまアリも8・8もやっぱり泣いてしまった。


私は関西ジャニーズJr.が大好きで、その中で向井康二が大好きだった。スノに加入した時に極端な話、関西ジャニーズJr.向井康二を選べと二択を迫られたような感覚だった。康二についていくと腹は括っても、やっぱり気持ちは落ち着かない。そんな中で康二の挙げ足ばかり取るような、タイムラインがどうしても流れてくる。


康二の為に黙秘した。数々の康二担が口を紡いだ。言葉にしなかった、何も。だから、私も言葉にしなかった。みんなで、耐えた。言葉にしないことで、康二の背中を押すことを選んだ。本当に悲しかった。康二が関西ジャニーズじゃなくなることが、本当に本当に悲しくて悔しくて辛かった。康二担は、それでも「おめでとう」しか言わなかった。だから私も「おめでとう」しか言わなかった。いや、言えなかった。


だから、今、少しだけ自分の気持ちや周りが落ち着いてきたときに正直に関西にいて欲しかったことを伝えると、スノ担の皆さんはビックリする。別に私が康二担代表です。ってわけじゃないから、皆がそうです。とは、言い難いけれど、でも、伝わってなかったんだよ。康二担の団結力凄い。作戦成功だぜ!(ここでネタ晴らししたらお開きじゃんってのは置いといて)なんとなく、お役目全うしたのかなって気持ちになったんだよなぁ。


スノ担になって約一年も経つと、6人の担当の人ともお話する機会は、そりゃあってさ、「康二担です。」って言うとさ、康二が加入して良かったことを挙げてくれるんだよね。大概言ってくれる。康二が批判食らってることを分かったうえで、そうやって温かい言葉を掛けてくれるスノ担の優しさがあったから、私は関西担ではなくスノ担を続けることを選べたんだと思うなぁ。感謝だなぁ。


その期間に滝沢歌舞伎や三婆出演など、立て続けに仕事ばかりの康二。康二担も私も緊張の糸が途切れる瞬間がないくらい、心も体も忙しなかった。康二の人生で一番の踏ん張りどころだったんじゃないかってくらい、本当に良く頑張りました。一緒に頑張れて良かった。メンタルお豆腐みたいな康二が、批判を聞こえない振りをしながらも前に進んでいく姿も、でもちゃんと耳を傾けて改善して受け入れて貰おうとする姿勢も。今まで私が知っている康二とは想像も付かなかった。一度、落ちた人間の強さってのをまじまじと感じた。康二くんはこれから何があっても無敵。結構自信をもって豪語しちゃうかも。東京に康二が来ると、康二の話を耳にすることも増えて、本当に変わったなぁ。頑張ってるんだな、本当に大人になったんだなぁ、ってその成長にやっぱりビックリする。いつの間にか、尊敬しているようになっていった。年下なのに。康二を尊敬する日が来るなんて。心から嬉しいし、マジビックリ卍卍マンし

康二はいつの間にか、きちんとファンレターを読むようになっていた。ぶっちゃけ、なにわ男子結成前まではそこまで読んでなかったんだと思う。でも、読まなきゃステージに立てないような精神的にも状況だったのかなぁ。って今だと思ったりもする。それからファンレター読んでます、と口にしてくれることも増えて、私の手紙もきちんと読んでくれてることも分かって。私だからじゃなくって、康二担一人一人を本当に大切にするようになっているのが、手に取るように分かって。康二は、ここまで付いてきたことに、本当に感謝してくれてるんだなって、それを全身全霊で伝えようとしてるんだなって。凄い分かりやすい康二だから、ここら辺もとっても分かりやすい。


スノに加入して、めめラウの目まぐるしい快進撃を見ていると、パンチ弱いかもだけれど、康二もめちゃくちゃ成長していて。東京で仕事した後の康二は必ず成長して帰ってくるので、ずっと東京にいたら、もう凄いパフォーマンス良くなっちゃうじゃん!!!って加入の時も、ワクワクしていた。本当、康二もよく付いていってるなぁって思う。振り入れのメイキングとか見ていると、やっぱり最後まで振り確認してるもんね。振りを入れて上の上をスノは当たり前に求められているから、やっぱり関西には無いスタンスだし。パフォーマンスアーティストとして求められていくギャップはやっぱり寂しくないと言えばウソになるけど、でもこれだけ必死な康二を見て受け入れられないわけがない。やっぱり、今の康二はエモさの塊だ。

この間のYTFFD.D.なんて激しい曲踊ってるのにファンに目線送ってるの、ビックリしちゃった。いつの間にそんなこと出来るようになったんだろう。気持ちの余裕と、その気の持ち方自体をマンズ兄さんから教わっているんだと思う。

マンズ兄さんのファンを大切にする姿勢は本当に素晴らしい。マンズ兄さん本当凄い。康二がこんなにファンを大切にできるようになったのは、マンズ兄さんのお陰です。私が何度転生しても貰えなかったファンサを、マンズ兄さんがいればひょいひょい引き出せるのだ、万歳、三唱!大好きマンズ兄さん。

最近、康二を知ってくれた人に、「康二ってあんまりファンサするタイプじゃなかったんですよ。」って言うとビックリされる。そんなイメージも沸かないくらい、今の康二はすべてに全力でぶつかっている。私は、こういう康二を応援したかった。関西ジャニーズにいた康二も大好きだった。私も康二も成長する、色んな失敗をして結果を出していく。落ち込んで奮い立たせて這い上がっている。だから、これがきっと正解なんだと思う、関西ジャニーズの康二を求めてしまうことは未だにある、でも、今康二が全力で勝負している姿を見れることが私にとって一番求めていたことなんじゃないかって、今気持ちを整理して分かってきたこと。応援したい康二に出会えたことが2019年一番の収穫である。



きっと、康二がもしこのブログを目にしたら、また偉そうなこと言ってって干されちゃうんじゃないかっても思うんだけれど(爆笑)それでも、やっぱり酸いも甘いも経験した怒涛の日だったから、言わせてほしかった。

デビューおめでとう。本当に嬉しい。心から嬉しい。

デビューする日が来るって、思わなかった。

いつからかデビューって口にしなくなっていった康二に慣れていた自分がいた。

でも、こんなことってあるんだね。

ここまで連れてきてくれたスノーマンのメンバーには頭が上がらない。

一生感謝し続けると思う。

康二をここまで連れてきてくれて、本当に本当にありがとうございます。

私は、やっぱり康二のことが大好きです。

康二に幸せになって欲しいです。

だから、これからも康二のことをよろしくお願いします。



一緒に頑張ってきた康二担の皆さん。

お互いお疲れ様でした。本当に疲れたね。

まだまだ、これから!って言える喜び噛みしめて、楽しんでいこうね。

もう悲しい涙も、気持ちを押し殺すことがないように

康二担の幸せを心から願います。

いつか、康二から離れる日が来ても、私は貴方と共に康二を支えるために戦えたことを誇りに思います。



支えてくれた関西担のみなさん

本当にありがとう、みんなと会えなくなって寂しいです。

みんなと入れなくなった松竹座、悲しいです。

でも、私、今本当に幸せみたいだ。

たくさん、たくさんいっぱいいっぱいな私の話を聞いてくれてありがとう。

本当にありがとう。背中を押してくれてありがとう。

おめでとう。って何度も言ってくれてありがとう。

一緒に泣いてくれてありがとう、本当に感謝しかないです。

 



大好きな大好きな関西ジャニーズ

本当に大好き。皆、本当に大好き。一人一人と密な時間がある気がする。

こうやって私の人生が豊かなのは、関西ジャニーズのお陰です。

キラキラした宝箱のような松竹座。ぎっしりとつまった夢と希望。

今、そこから色々な方面に輝いている皆の活躍が心から嬉しいです。

やっぱり、私のホームはここだし。落ち着く、そして一番楽しい場所。

こんな居場所を与えてくれたこと、心から感謝してます。

関西が関東に来るときは全力でこれからも応援するから、たくさん来てね。

こんな言葉じゃ足りないくらい、本当に皆が幸せでいることを願っています。

飛ぶ鳥落とす勢いと関西ジャニーズ。

まずは、東京ドームだね。楽しみだな。本当。

いったれ!!!!やったれ!!!!







 

そして、康二くんへ


ここまで、本当に大変だったね、

よく頑張ったね。


私も頑張ったよ。笑


頑張って良かったって、思う。

全力で応援出来て良かったって、思う。


向井康二が好きって、色んな人に

伝えてきてよかったって、思う。


向井康二

付いてきてよかったって、思う。



一人のアイドルの人生に左右される私のメンタル

最高だなって思う。



だから、とびきりのデビューのご褒美だね。


デビューじゃなくたって、なんだって

康二くんがそこにいてくれれば嬉しいけれど

それでも、やっぱり露出が増えて色んな人に私の応援している人が

伝わっていくのを肌で感じていて、言葉にできないくらいの嬉しさがあるね。



これが、結果なんだ。


康二くんの頑張った結果なんだね。

 

頑張っても報われないことの方が多いけれど

それでも、やっぱり康二くんは報われるだけのことをしてきたから。



これから先、もっと幸せになって

もっと、成長してさ、

見たことのない康二くんを見せてね。

付いてきて、応援して良かった。


ありがとう。



アイドルでいてくれて、本当に本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

すっごく、長ったらしいブログになってしまったけれど、要約すると




関西ジャニーズでなくなってしまった康二くんに悲しくなることもまだまだあるけれど

それでも、康二くんのここまで一生懸命な姿は今まで見たことがなかったので

見たい姿を見せてくれる今の現状はとってもオタクとして幸せなことだな。




って長々と綴って気付けたのでした。




 

さあ、心の大掃除完了!ってことで、気持ちを新たにカウントダウンコンサートにいってきます。令和最初のカウントダウン。皆さん、良いお年をお過ごしください。